接近遭遇
先日、中古カメラを購入しました。本体だけかと思ったら、SDカードがついていて、「お得!」となりました。さっそくカメラに入れてみると、なんと前の持ち主の写真が残っていました。花、演奏会、甘味、展覧会などが写っておりました。私だったら売り払う前にカードを初期化しますが、個人情報が特定できそうな写真はなかったので、いいのでしょう。
ハッとさせられたのが、自分も行った展覧会(関西某所でステンシルを多用する覆面作家の展示があった)の写真が多数残っていたことです。前持ち主とどこかで会っていたかもしれないなと思うと、カメラに愛着がわきました。画質はスマホより良好で、ゆきが生きていた時に買っておけばよかったと、少し後悔しました。
しかし、今どきのカメラは「極短時間の動画からベストシーンを切り出す」方式があるんですね。2010年代だったらパソコンがないとできない作業です。
恐怖の報酬
この前、年の離れた友人とキャンプに行きました。私はキャンプ未経験で、その人が流れを教えてくれました。テントの設営、炭火の熾し方・・「なるほどこうやるのか」と俄然自分もやる気になりました。その時は強い風もなく、問題はありませんでした。バーベキューのうまい肉を頂き、炭火の始末は友人に任せ、私は汚れた食器を洗いに行きました。洗い場(歩いて2分程度)で鼻歌交じりで食器を洗い、食器を落とさないよう、そろそろとゆっくり帰って行きました。風が強くなったと思いつつ。
サイトに帰り着くと、友人が防火布(グリルの下に敷いていた)を地面にたたきつけています。見ると、足元の枯れ草が燃えています。というより燃え広がっている。火の粉が引火したのでしょう。私は食器を放り出して、火を踏みつけて消火しようとしました。
燃えている部分の背後は枯草の海で、延焼すれば山火事一直線です。ゴム底の靴でしたが、勇気を出して踏み続け、二人がかりで何とか消火しました。隣のサイトの人からの助言で、洗い場の防火バケツを借りて水を流し続けました。
管理者への報告(乾燥時期は多いとのこと、あまり責められず)が終わり、二人で椅子にへたり込んでいると、自然に笑いが漏れてきました。二人とも。戦争映画等で惨事のあとに笑いが止まらなくなるシーンがありますが、あれって本当なんです。
乾燥・強風のときは火の粉等で容易に引火すること、事前に消火器(実は近くにあった)の位置を確認すること(おそらく水をかけても消火は難しかった)など、いい教訓になりました。
友人はかなりショックを受けたようで、しばらく座り込んでいましたが、バーナーで湯を沸かしてコーヒーを入れてくれました。あれはうまかった。
強風でテントの撤収も大変でしたが、何とかやり遂げました。アクシデントには見舞われましたが、強風・乾燥という悪条件を考えると、実は運がよかったのだと思います。
自転車に方向指示器を
コロナ流行のためか、自転車利用者が増えた気がします。健康のために始めた人もいれば、家計に余裕がない・配偶者が自動車を使うから等の理由もあるでしょう。エコがメインの理由という人は少数と思いますが。私自身も学生時代は通学、就職してからは通勤(気温が高いときは電動バイク)と、自転車と縁の深い人生です。
最近、音楽やオーディオブックを聴きながら散歩するのが日課になり、歩道を歩いている時に、自転車利用者に脅威を感じることが多くなりました。音もなく背後から追い越され、冷や汗をかいたことは一度や二度ではありません。
モノがぶつかってくる威力をごく単純化すると「速さ×重量」になると思いますが、
・そこそこ速い重量級の電動アシスト自転車(子供・荷物載せの場合あり)
このどちらも歩行者にとっては脅威です。自動車に轢かれるよりはましでしょうが、成人でも頭部を損傷すれば、命に関わるし脳の損傷は一生ものです。子供・老人は充分死に得ます。
人間の基本的な状態が歩いて移動する生物である以上、保護されるべきは歩行者である。法律もその精神に依っているはずですが、実際の歩道では自転車利用者が歩行者の脅威となっている。自転車利用には様々なメリットがありますが、歩行者の安全を脅かしているようでは帳消しです。
自転車に乗るのであれば、基本的に車道を走行しなければならない。歩行者を守るために。しかし歩道走行は横行している。なぜなのか?
自転車利用者が歩道を走る理由は
①自転車を「軽車両」と認識していない。
②車道走行を危険と認識している。
③法律上、やむを得ない場合は歩道走行が許容されている。
④多くの人がそうしているから。
というようなものが考えられます。②③④については、警察の取り締まりやTV報道、横断歩道信号標識の改変(自転車の表示が消えている)、明示的な自転車レーンの設置など対策が取られています。①については、免許制か、自転車そのものに車両としての実質を持たせる以外にないと思います。具体的には、原付と似たような方向指示器の設置を義務化するのが有効なのではないでしょうか。「なぜ車道を走らなければならないか」と言われたときに、法律を説くのもよいですが、原付を指さして「あれと同じだから」と説明できるようになります。
自転車は効率的・健康増進要素あり・低環境負荷と、素晴らしい乗り物です。しかし、乗り手に完全に左右される乗り物です。イヤホン装着状態でスマホを注視しながら自転車を漕いでる人を見ると、人間の知性への信頼が崩れてくる、今日この頃です。決してそれが多数派とは思いませんが。
ブログはちょうどいい媒体
ゆきの老化を感じ、ブログに写真等をアップしだしてから結構時間が経ちました。これは写真も貼れるし、長文も短文も書ける。管理も編集も簡単。他人に返信する必要もないし、誰かに対し責任を負うことも(炎上しなければ・・するわけがない)ない。タグとやらも、最初はつけてましたが、やめちまいました。垂れ流しでいいんだから気楽なものです。
いわゆるSNSはLINE(チャット機能)以外使ったことがないですが、「めんどくさそう」という第一印象があり、手を付けていません。炎上沙汰とかがあったらネットニュースアプリにスクリーンショットが流れてきますし。
インターネットに対しては、以前から他者の発信する情報は十二分に摂取するが、自分からは何も発信しないという姿勢できました。インプットはするがアウトプットはしないという信条だったのです。
ささやかながらインターネットに情報をアウトプットするようになり、ブログのプラットホームを提供してくれているはてなブログさんに感謝です。
しかし、ネットで双方向的に発信しまくる人が世界に何億(?)もいるんだから恐ろしい話です。
蔵書の整理
最近はkindle本を買うことが多いのですが、紙の蔵書(ほとんどブックオフかネットで購入)をテーマ別に分けて整理してみました。量の多い順です。
①飲食に関すること
②ミリタリー
③人文思想歴史
④自然科学
⑤小説・漫画
となりました。
最近小説をあまり読んでいないな、と思います。中高生のころはよく読んでいたのですが。漫画は、何十巻も続くものは苦手です。「続けるための継続」というのが嫌なんですね。
コロナの流行で唯一よかった(自分にとっては)ことは、読書の習慣が完全復活したことです。働き出してからは、一度読んだ本をパラパラめくったり、積読を増やすばかりでした。なぜか新しい本に手が伸びなかったのです。流行初期の外出自粛のころは、本とゲームと散歩が気晴らしになっていました。
ゆきが死に、人生の楽しみの一つが消えてしまいましたが、他のことで補っていかなくてはならないな、と感じる今日この頃です。
終焉
10月29日午前7時21分、「ゆき」は亡くなりました。享年14歳。10月24日に倒れ、25日に緊急手術、輸血。26、27日、28日午後は点滴治療を受けていましたが、腎・肝機能低下が止まらず、再度の輸血は苦痛を長引かせるだけと家族で判断し、家に帰らせました。母と弟が看取りました。断末魔のときのみ喘鳴がひどかったと。
手術は高額でしたが、私は、28日の午前中ずっと一緒に過ごすことができたので、感謝しています。自力で歩行でき、歩き回るので外に出し、隣家のおばさんと飼い犬に最後に会うことができました。
火葬が済み、家族も落ち着いたので、ブログに記します。実家を訪れると、今でもその辺の床に、いつも通り寝転がっているような気がします。
ゆきはいなくなりましたが、残された写真をアップロードしていきたいと思います。