柴犬「ゆき」の写真記録

白柴「ゆき」の思い出

個人主義の未来

 Audibleで「吾輩は猫である」を聴き終わりました。この本は会話シーンがやたら多いので、オーディオブックのほうがいいと思います。紙の本は何度も投げ出しました。

 めちゃくちゃ面白いわけではないですが、ユーモアが仕込んであってクスリとさせられます。しかし、最後のほうにすごい予言がぶち込まれていました。長いですが引用します。ちなみに迷亭先生の発言です。 

「僕の未来記はそんな当座間に合せの小問題じゃない。人間全体の運命に関する社会的現象だからね。つらつら目下文明の傾向を達観して、遠き将来の趨勢すうせいぼくすると結婚が不可能の事になる。驚ろくなかれ、結婚の不可能。(略)今の人の考ではいっしょにいるから夫婦だと思ってる。それが大きな了見違いさ。(略)ここにおいて夫婦雑居はお互の損だと云う事が次第に人間に分ってくる。……」

「(略)人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果におちいる。いやしくも人間の意義をまったからしめんためには、いかなるあたいを払うとも構わないからこの個性を保持すると同時に発達せしめなければならん。(略)開化の高潮度に達せる今代きんだいにおいて二個の個性が普通以上に親密の程度をもって連結され得べき理由のあるべきはずがない。この覩易みやすき理由はあるにも関らず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、みだり※(「丞/犯のつくり」、第4水準2-3-54)ごうきんの式を挙ぐるは悖徳没倫はいとくぼつりんのはなはだしき所為である。吾人は人道のため、文明のため、彼等青年男女の個性保護のため、全力を挙げこの蛮風に抵抗せざるべからず……」

「(略)なに芸術だ? 芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展というのは個性の自由と云う意味だろう。個性の自由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味だろう。その芸術なんか存在出来る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者きょうじゅしゃの間に個性の一致があるからだろう。(略)」

 

吾輩は猫である青空文庫版より引用

 現代先進国の精神を一言で言うと、青字部になるでしょう。あらゆるハラスメントが悪とされるのは、これに抵触するためです。子供の丸刈り強要やブラック校則なんかも同様です。明治時代に結婚や芸術の不可能にまで想像するとは。現実はここまで追いついていないですが、昨今の風潮を見ていると、追いつかざるを得ないような気がします・・・

 夏目漱石個人主義関連の文献は読まなくてはならないと思いました。

2012.1.01おすわり

2011.11.06 罰

2011.5.11 遮蔽