吉田満「戦艦大和ノ最期」
本書を初めて手に取ったのは、たしか小学生の時でした。どこの出版社か忘れましたが、ハードカバーでした。もともと文語体のものを、読みやすいように口語体に直していたと思います。同じシリーズに、サイパン玉砕時の戦車隊員の家族視点の物語もあったかと記憶しています。
長じて大学生のころ、講談社文芸文庫版に接しました。あまり新品の本を買うことがなかったのですが、これは書店で見つけるや否や買ってしまいました。
児童版の内容は漠然とすら覚えていませんが、強烈な印象を残したことは確かです。文語体(漢字・片仮名のみ)は子供には難しく、名作ゆえにリライトの必要が感じられたのでしょう。
この本が史実として検証されたことがあるかどうかは知りません。爆弾で生身の人間は吹き飛ばされ、魚雷で艦はじわじわと傾き沈む中で、正確な記録などありえませんので、不正確な描写は山のようにあるのでしょう。しかし、著者が感じたことは、生き生きと表現されていると思います。文語の定型句がよく出てきますが、「心手期せずして」このような言葉を軸に決断していた世代なのだなと、感じました。遅延の許されない、非常時の言葉です。実際には普通の言葉が話されていたに違いないのですが、後から思い出すときはそうなるのでしょう。
最後に、この本で最も好きなシーンを引用したいと思います。出撃直前の無礼講のエピソードです。
「航海士鈴木少尉(学徒出身)、乾盃せんとして盃を手より滑らし床に落せば、微塵に墔け散る
首途の盃を毀つは最も不吉なりという
色を失い、悄然としてなすところなし
侮蔑の眸一斉に彼に注ぐーーこの期に及んで凶兆なんぞ恐るるに足らんーー
されど蔑視するものよ、みずからは恃むに何をもってするか
何によって平静を保つか
彼ら真実は己の死に、選ばれたるものの光栄を妄想せるに非ずや
絢爛たる特攻の死を仮想し、異常の故の興奮に縋れるに非ずや
あるいは更に、万死逃るる余地なき征途にあって、己のみは儚き生還の夢に陶酔せるに非ずや
彼らみずからを偽れるなり
(中略)
鈴木少尉ひとり虚心にして、己が死に目覚めたるなり
直視せよ みずからを偽るなかれ
何びとの盃も、ひとしく墔かれたり ただこのしばらくを、かろうじて双手にて支えいるに過ぎず
死はすでに間近し 遮るものなし
(中略)
ああわが怯懦なるよ
今にして酒気を招き、もって耳目を掩わんとは
蛮勇と衒気にかくれ、死に怯えたる戦友を嘲笑せんとは」
(講談社文芸文庫版「戦艦大和ノ最期」p.24-p.25※片仮名はひらがなに変換)
キリストが主人公なら、「この盃を取り除けてください」とか祈りそうですが、「何びとの盃も、ひとしく墔かれたり」と死を前にして思うのが、彼我のちがい、つまり「救い」と「悟り」の違いかな、とおもいます。愚考ですが。